初桜酒造について
初桜酒造の歴史
かつらぎ山系の伏流水が汲み上げられる、蔵の井戸
毎年、蔵元直々に杜氏と仕込まれる日本酒の仕込み風景
仕込まれた酒米たちが、麹の力で醸す日本酒の様子
創業慶応二年、紀北の水田地帯は恵まれた気候と水により多くの庄屋が酒造りを競う、紀州一の酒造地帯でありました。紀ノ川の水運にも恵まれ、京阪神、瀬戸内をはじめ、遠くは江戸(東京)まで運ばれ、その名は全国津々浦々に聞こえておりました。
ここ、かつらぎの地でも最盛期には16軒の酒蔵が東西に軒を連ね、冬の寒風をついて、酒を仕込む仕込み唄が、町中に朗々と響き渡ったものでした。
しかし、大手酒造メーカーによる工場での管理された日本酒醸造が主流となり、自然に任せた地酒の製造は、時代に取り残され、かつらぎの蔵元は、とうとう初桜酒造のみとなってしまいました。
当社主屋を旧大和街道側より望む。今となってはこんなに細い路地ですが、昔は馬を曳き多くの人が往来する街道筋でした。
平成8年10月1日に施行された「文化財保護法の一部を改正する法律」により、保存及び活用が特に必要とされる文化財建造物を、文部科学大臣が文化財登録原簿に登録する「文化財登録制度」が導入されました。この制度の下、登録された「登録有形文化財」には、このプレートが国から交付されます。写真は、当社主屋のものです。